あのとき、聞き流してしまった言葉
息子が小さかった頃、七田式のお教室に通わせていた。
その教室が分裂して、通う先が変わったことがあった。新しい教室のトップの先生が、こんなことを言っていたと、ママ友が教えてくれた。
「子どもを読書好きに育てられたら、子育ては終わったようなもの。そのくらい、読書は大事」
そのママ友は、この言葉を真剣に受け止めていた。毎週レッスンが終わったあと、家族で図書館に行って、借りられるだけ本を借りて、お子さんに読ませる——そんな環境を、ちゃんと作っていた。
でも、当時の私は違った。
「図書館の本は菌が多い」
その頃、私は夫からこう言われていた。
「図書館の本は、どんな人が触っているか分からない。菌がいっぱいだから、本は買って読ませなさい」
そう言われても、大量に本を買い続けることなんて、できなかった。それに——当時の息子は、とても優秀だった。だから私は、「読書が大事」という言葉を、どこか気に留めていなかった。
今の成績が良いんだから、大丈夫。そう思っていたのだ。あの言葉が、何年もあとに効いてくるなんて、想像もしていなかった。
差は、はっきりと出た
そのママ友は、その後、息子の習い事を全部まねして、同じところに入会してきた。だから、二人の子どもが育っていく様子を、私はずっと隣で見てきた。
そして、はっきりと差が出た。
そのお子さんは、国語ができる。国語できるから、ほかの教科も、ものすごくできる。とても教育熱心なお母さんのもとで、英語も国語も、本当によくできる子に育っている。
読書を大事にした家と、聞き流した家。あのときの、たった一つの選択の違いが、何年もかけて、こんなにも大きな差になった。
国語は、全部の土台だった
今になって、痛いほどわかる。
国語ができる子は、強い。なぜなら、国語は全教科の土台だからだ。問題文を正確に読み取る力が、算数にも理科にも社会にも効いてくる。読書で培われた「読む力」は、中学受験のすべてを支える。
うちの息子は今、まさにその国語が最大の課題になっている。合否判定でも、国語だけ偏差値が大きく足を引っ張った。
あのとき、あの先生の言葉を、もっと真摯に受け止めていたら。菌が気になるなら、除菌して読ませる方法だってあったはずだ。優秀だからと油断せず、読書の習慣を作ってあげていたら——。
そう思わずには、いられない。
唯一の救いは、ヨンデミー

それでも、ひとつだけ、救いがある。
去年の年末から始めた、ヨンデミー。
あんなにサボる息子が、これだけは毎日、朝ちゃんとやっている。中学受験の勉強でさえ、どうやって親の目を盗んで楽をするかばかり考えている子なのに(塾の先生いわく、男の子はそういう子が多いらしい)。そんな息子が、ヨンデミーだけは、自分から続けている。
きっと、楽しいんだと思う。やらされる勉強とは違う。楽しいから、続く。
そして、少しずつだけれど、成果も感じられるようになってきた。本を読む習慣が、確実についてきている。最近は私が本を指定したり、夫が買ってきた読解力のつくテキストと併用したりしながら、続けている。
せめて、もっと早く始めていれば
正直に言う。本当に後悔していることがある。
せめて、浜学園に入塾したときから、ヨンデミーを始めていたら。
そうしたら、今の国語は、もっと違っていたんじゃないか。あの何年間かの読書の差を、少しでも埋められていたんじゃないか——。
過ぎたことは、戻らない。でも、後悔している時間があるなら、今できることを続けるしかない。今からでも、読書の習慣を積み重ねていく。それしか、道はないのだから。
もし今、小さいお子さんを育てている人が、これを読んでいたら。
「うちの子は優秀だから大丈夫」と、思わないでほしい。読書の習慣は、優秀かどうかに関係なく、早く始めるほど効いてくる。あのとき聞き流した私が言うのだから、間違いない。
子どもを読書好きに育てられたら、子育ては終わったようなもの。
——あの言葉は、本当だった。私は、それを何年もかけて、いちばん痛い形で知ることになった。

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